頑張れ受験生、ああ受験生 [雑感&思い]
~~~~~ 今日は思いつくままに ~~~~~
答えがあるものにいくら答えても、それは勉強の一端に過ぎない。
だからと言って、わたしは知識の否定をしているのではない。
神様でない限り、知識がなくて、この世を渡るのは無理だろうから。
そうではなく、知識を大切にしつつ、如何に 知識を「生きる知恵」に変えていくか が問題であると言っているのだ。
ばらばらの知識を、継ぎ目のない大きな網 にするために勉強というものは存在している。
授業の中で、思考を通して「視座の転換」を体現していきたいと常日頃思っている。
(実際に難しいことではありますが。 )
そういう意味で、教室は紛れもなく、事象に対する新しい見方を絶えず探し求める「知の即興空間」なのである。
だから、教師がただ一方的に、知識を与えるだけの、時として独りよがりの、自己中的な授業ではいけない。
生徒の頭脳を覚醒させ、フル回転させ、授業が終わったら、脳内疲労を伴うような授業でなければならない。
様々な基準があるが、真の人間の価値は困難な状況の中でも、自分なりの方針でその場を切り抜けていくことにある。
今後の人生においても、目の前にある高校生活においても、大学生なら、社会人生活にも、このことは当てはまる。
卑近な例では、今行っている英語の授業にも当てはまる。
私たちが普段接している英文には、物語、報告文、事実の伝達、意見、論争、随筆、学術論文など、
実に様々な内容及びレベルのものがある。
したがって勉強のレベルにも様々あることになる。
例えば、平易な単語と構文で構成されていて、ほとんど誰でも理解可能な英文もあれば、まったく同じ構文なのに、
何らかの原因で、理解しにくい英文もある。単語も構文もわかるのに、意味が把握できない英文もある。
文脈や背景知識を利用して考えなくてはならない英文がそうである。
もしこの世の全ての英文に精通しようと思ったら、そのためには多くの知識と経験がないとたち打ち出来ない。
だだ、それは実際には無理というものが現実だが。しかし一般的に私たちに不足しているのは、そういった高度な
レベルのことではなく、基本的かつ根本的な英文に対する姿勢である。
私たちは、英語圏の人間からすると、「外人」であり、年齢も臨界期を過ぎているので、
多くの英文に慣れることから経験的に英文を理解する方法よりも、論理的に英語に接したほうが理解は早い場合も多い。
だから、この授業には一番大切なこと、つまり、英語に接する際の論理的な基本姿勢が網羅されている。
授業やテキストの内容をしっかりと熟読玩味して、理解できない英文に出会った時にどうするのかという基本方針を
自分自身の中にしっかりと持って欲しい。
言っておくが、授業で使うテキストは、あくまでも算数で言う「掛け算九九」と同レベルの基本内容である。
たくさんあるうちの1冊に過ぎない。当然内容は簡単である場合もある。だからしっかりと本質から理解して、
使いこなせるようになってほしい。
知っていることや暗記したことには対処できるが、未知のことにはお手上げでは困る。
生徒に質問すると、「わかりません」と即答する者がいる。
私は知識を聞いている場合もあるが、それまでの話しの流れから、知らないことを推測して答えてほしいと思って、
発問をすることがある。なのに、「わかりません」とくる。
だから、私の発問の意図をしっかりと伝えて、もう一度答えてもらう。
わからない時にどう振舞えるかがあなたの価値になるのだ。既知のことにどれだけ上手く対応するかではなく、
未知のことに出会った際に、いかに知的に振舞えるかが本当の能力であり、それがあなたの真価なのである、
と本当に思っている。
あなたはそうしたものを持っているのだろうか。持っているならば、それをさらに高度なものに、もしなければ、
これから手に入れるように、努力すればいい。ただ一朝一夕にはいかないので、
相当努力を要することは肝に銘じてほしい。この授業やテキストは基礎レベルであるが、
これを血肉化したその先には、志望校合格という大きな成果が待っている。
少しでも君たちの手助けになることを祈っている。
みんな大学生になってほしね。
がんばれ受験生。
大学ではさらなる高みが君を待っているよ。
駆け上がれ、もっと高く!
”意志ある者のは突き進め!”
ではまた。
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