ポールスターⅠ レッスン9 [教科書 Communication 和訳]
Revised POLESTAR English Communication I
Lesson 9 「スティーブンの話―終わりのない物語」
[PART I]
イングランド[1]の或る若者が、じぶんのしたい46のことがらについてのリストを、自らのブログ上につくった。彼はどうしてそんなリストをつくったのだろうか。
スティーブン・サットンは、1994年12月にイングランドで生まれた。彼はふつうの子ども時代を送ったが、15歳のときに、彼ががんであるのを医師が見つけた。彼は手術を受けたが、がんはすでに彼のからだのほかの部分にまで広がってしまっていた。それから次の3年以上をかけて、彼はさらに7度の手術を受けた。
2012年11月、スティーブンはわるい知らせを受け取った。彼の医師が言うには、彼は助からないとのことだった。けれども、スティーブンはあきらめなかった。その代わりに、彼は前向きな態度をとった。彼はじぶんのために新たな目標を設定した。彼は「スティーブンの話」というブログを書き始めたのだった。
ブログには、残された日々で彼がなにをしたいかが書かれていた。彼のホームページ[2]を閲覧したひとたちは、そこに勇敢なメッセージを見出した。彼は書いている。「わるいことは起こってしまうものだ。けれども、じぶんが何者かを決めるのは、こうしたものごとにどう立ち向かっていくか、ということなのだ」
[PART II]
スティーブンのリストには46のことがらが載っていた。たとえば、スカイダイビングをしたい、本を書きたい、大観衆の前でドラムを叩きたい、というものだ。生前[3]、彼はこれらのこと全部と、ほかの多くのことを成し遂げた。実際のところ、彼はじぶんの目標の半分以上を達成することができたのであった。
スティーブンにとって、いちばんたいせつな目標は慈善事業にかかわりがあった。彼には世の中でほかの人びとの役に立ちたいという強い欲求があったのだ。彼はがんを抱えるほかのティーンエイジャー[4]に着目した。
この目的のために、彼は集金のプロジェクトを始めた。彼の最初の目標は、10,000ポンド(当時の1,500,000円に少し満たないくらい)だった。その目標はあっという間に達せられた。それから、来る日も来る日も、スティーブンはお金が入ってくるのを見ていた。それで、彼は新たな目標を発表した。100,000ポンドである。どんどんお金が入ってきた。だから彼は、目標を1,000,000ポンドにまで引き上げた!
幸いなことに、この目標さえもそう長くはないうちに達せられるのを彼は見たのであった。
[PART III]
スティーブンには、じぶんの時間が限られていることがわかっていた。彼はできるだけたくさん、自らの慈善活動に取り組みたいと思っていた。そうした活動のひとつが、スピーチをすることだった。或るスピーチで、彼は次のように言っている。「人生の価値を時間という観点で測ることの意味がぼくにはわかりません。どちらかと言うと、じぶんがなにを成し遂げたのかという観点で測るべきなのです」
スティーブンはいつも元気いっぱいで、いつも笑っていた。けれども、彼のがんはどんどんわるくなっていた。2014年4月に、突然に呼吸困難となり、彼は病院に担ぎ込まれた。幸運なことに、彼は生き延びた。
翌日、彼はブログにもうひとつ書き込みをした。彼は書いている。「ぼくはできるだけがんばります。でも、もし万一のことが起きたら、みんなに、ぼくといっしょに旅を分かち合ってくれたことについて、ただありがとうと言いたい」
数日後、彼の慈善事業のためにお金を出してくれたひとたちにも、彼はお礼を言った。彼は書いている。「かかわりをもってくれて、これを起こすのを手伝ってくれたみなさまにはとても感謝しております。差し出していただいたお金は、大きな変化を起こすことでしょう―ありがとう!」
[PART IV]
短いあいだではあったが、スティーブンは活動的でありつづけた。けれども、5月11日、彼は再び入院しなければならなかった。3日後の、2014年5月14日、スティーブンは眠りながら亡くなった。ほんの19歳だった。
スティーブンのホームページでは、彼の母が生前にスティーブンを支援してくれたことに感謝を述べた。彼女はこうつづけている。「私たちにはみんなわかっているのです。息子が忘れられることは決してないということ、彼が成し遂げてこれほどまでにたくさんの方々と分かち合ってきたすべてのことの内に、彼のたましいが生きつづける、ということが」
おどろくべきことに、彼が亡くなってから半年のうちに、慈善事業の基金の総額が4,000,000ポンド(当時の5億円以上相当)以上にのぼっていた!このときから数年間のうちにも、人びとは彼のホームページを訪れ、慈善事業にお金を出しつづけたのであった。
スティーブンの人生は短いものであったが、それは意義あるものだった。彼の話なくしては、ひとりのティーンエイジャーがいかに大きな変化を社会に与えることができるのかを、ほとんどのひとたちが実感することはなかったであろう。
[1] 周知のとおり、 ‘England’ はイギリスの一部(Oxford English Dictionary によれば、‘A country forming the largest and southernmost part of Great Britain and of the United Kingdom, and containing the capital, London’)である「イングランド」を指すので、「イギリス」とか「英国」とか訳すのは厳密に言うと誤りである。
[2] 「ウェブサイト」の方が正しいことばであろうが、日本語ではまだまだ「ホームページ」の方がよく使われているので、敢えてこのように訳した。むろん英語で言う ‘home page’ とは、 ‘website’ の最初の画面のことである。
[3] この時点で早くも Stephen の死について断定的に書かれている。
[4] 日本語で言うところの「10代」に近い概念だが、 ‘a person aged between 13 and 19’ (OED) つまり ‘teen’ と付く年齢の人びとの集団であるから、若干異なるので、ここでは敢えてそのままカタカナ語としておく。
意志ある者は飛べ!!
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