ポールスターⅠ レッスン6 [教科書 Communication 和訳]
POLESTAR Lesson6
Part1
長い間、指輪においてダイヤモンドはずっと人気である。それらは、輝きそして美しいと見られる。
しかしながら、ダイヤモンドには暗い面もある。
あなたはシエラレオネを知っていますか。それはアフリカ西岸にある国です。
大きさは約70000平方キロメートルで、北海道よりも少し小さい。2008年の人口は約600万人だった。
シエラレオネは、アフリカでもっとも貧しい国の一つである。
約60パーセントの人々が1日わずか1ドルで生活する。2008年、国の平均寿命は42歳で、世界で最も低いものの一つだった。
その国の問題の主な理由は、1991年から2002年まで続いた戦争であった。それは、政府と反逆軍との間の内戦であった。
これらの反逆軍は、シエラレオネの鉱山からとれるダイヤモンドを使って銃を買った。
ダイヤモンドは、普通人々を幸せにする、ーしかし、シエラレオネの人々にとっては、それらは不幸しかもたらさなかった。
Part2
戦争のために支払うために使われるダイヤモンドは、「ブラッドダイヤモンド(血のダイヤ)」として知られている。
実際、「ブラッドダイヤモンド」と呼ばれる映画がある。
それは、1990年代のシエラレオネにおけるブラッドダイヤモンドの売買に関する物語であった。
実際の生活においても、映画であったように、反逆軍は地元の村の人々に彼らのために鉱山で働くことを強要した。
その仕事は、きつくて危険だった。多くの人々がそこで命を失った。
200万人の人々が国を去らなければならなかった。
その戦争で最も苦しんだのは、子供たちだった。その多くは、両親と家を失った。
さらにひどいことに、その多くが反逆軍によって連れ去られた。いくつかの報告によると、10歳から16歳の年齢の5000人以上の子供たちを彼らは連れ去った。鉱山に送られた者もいれば、兵士として戦わされた者もいた。
これらの少年兵の多くは、彼らが罪の意識を感じることなく人を殺せるように麻薬を与えられた。
Part3
1998年まで、世界はブラッドダイヤモンドに対して、いかなる措置も取らなかった。その年に、国際連合(国連)が初めてこの問題を取り上げた。
それから、2000年にキンバリーという南アフリカの都市で、これに関する会議が行われた。
多くの異なる国から来た人々がそこに集まった。彼らの目的は、ブラッドダイヤモンドの販売を止める方法を見つけることだった。
これは、まさにこのような多くの議論の始まりだった。
2002年についに、国連が彼らの計画を採択した。それは、「キンバリー・プロセス」と呼ばれた。
この新しいシステムにおいて、各国の政府はブラッドダイヤモンドの売買を止めなければならなかった。
2009年代半ばに、ダイヤモンドの販売の約15パーセントがブラッドダイヤモンドだった。
それはのちに1パーセントに減少した。
しかし、ブラッドダイヤモンドの購入は依然として可能であった。
その取引を完全に止めるために、もっと対策が取られる必要があった。
Part4
シエラレオネにおける戦争は、何年も前に終わったが、その国はたくさんの深刻な問題で苦しみ続けている。
貧困は依然としてありふれていて、そこの多くの人々にとって生活はとても困難である。
2009年に、日本のテレビ番組がシエラレオネの13歳の少年を紹介した。
彼は、そこでの生活について話した。彼は彼の小学校でずっと最上位の生徒の一人であった。
しかし、中学校に入学した後で、彼は学校を去らなければならなかった。
彼には、そこで勉強をし続けるための十分なお金がなかったのだ。
彼はダイヤモンドの鉱山に行き、6か月以上の間一生懸命働いた。
しかしながら、彼はたった1回成功しただけで、そして2、3ドルを受け取った。
その番組で、彼は過去について話しただけではなかった。
彼は、将来の彼の夢を説明して、彼の国の副大統領になりたいといった。
彼は、その国の子供たちにとって、生活を安全にしたかった。
彼は、子供たちに彼のような人生を送って欲しくなかった。
シエラレオネの子供たちにとって、平和はダイヤモンドよりもずっと大切なのだ。
意志ある者は飛べ!
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