ユニコーン2 レッスン6 [教科書 Communication 和訳]
人間の独自性とは何か――チンパンジー研究から
Part 1
私は日本と外国の両方でチンパンジーを研究してきた.
ここ日本でアイという名のメスのチンパンジーと一緒に研究
するだけでなく,この25年間,毎年アフリカを訪れて野生の
チンパンジーを自然の生息環境の中で研究してきた.
また東アフリカに位置するルワンダのヴィルンガ火山で野生
のゴリラを,そして東南アジアのマレーシア領北ボルネオで
は野生のオランウータンを観察してきた.人間は動物とは別の
存在であるという単純な見方に固執している人は今でも多い.
しかしそれは完全な誤りである.人間は動物界の一員である.
人間はほ乳類である.ほ乳類の中で,人間はサル目に属し,
さらにヒト科に属する.ヒト科は4つの属から成り,それが人間,
チンパンジー,ゴリラ,オランウータンなのである.ヒト科は
尻尾のないことを特徴とする.我々人間には尻尾がない.それは
チンパンジー,ゴリラ,オランウータンも同様である.日本語に
は「サル」という1語しかなく,その語によって我々はニホンザ
ルを連想する.しかし英語では”monkey”(尻尾のあるサル目)
と”ape”(尻尾のないサル目)との間には明確な違いがある.
つまり人間と3大apesは同一の科に属し,どれも”monkey”では
ないのである.
Part 2
人間の身体は進化の産物であり,人間の心もまたそうである.
肉体の進化の歴史は化石記録によって跡づけることができる.
ところが心と脳は決して化石にならない.私が人間の心をこの
3大apes,特にチンパンジーの心と比較してきたのは,人間の
心の進化の歴史を理解するためである.
21世紀の初めに科学者たちは人間の全ゲノムの解読に成功
した.そしてその後,チンパンジーのゲノムもまた解読された.
結果は驚くべきものだった.人間とチンパンジーとでは,ゲノ
ムの98.8%がまったく同一だったのである.両者の間にはわず
か1.2%の差異しかなかった.好むと好まざるとにかかわらず,
それが事の次第である.
チンパンジーはそれほど人間に似ている.チンパンジーの寿命
はおよそ50年で,メスのチンパンジーは平均して,5年ごとに
出産する.妊娠期間は人間で約280日,チンパンジーでは235日
ほどである.人間の赤ん坊は誕生時にだいたい3kgであるのに対
し,チンパンジーの赤ん坊は2kgを若干下回るくらいだ.脳体積
は人間もチンパンジーも,生まれてから成体へと成長する間に
3倍ほどになる.私たち同様チンパンジーも,成長していく中で
多くのことを学ぶ.
Part 3
チンパンジーの学習過程の一例は西アフリカ,ギニアのボッ
ソウで見ることができる.そこは私が野外研究を行ってきたと
ころである.当地のチンパンジーは一対の石をハンマーと金敷
きとして使って,アブラヤシの堅果を割って開ける.強くたた
くことによって,実の殻が割れ,食べられる仁が出てくる.
これはボッソウの共同体でしか見られない文化伝統である.
チンパンジーは前の世代から,何を食べたらいいか,そして
道具をどう使えばいいかを学ぶ必要がある.若いチンパンジー
が石の道具を使う技術を習い覚えるのには4年ほどかかる.
その学習過程の観察は興味深い.チンパンジーの学習の仕方
は「見習う学習」と呼ばれる.子どもたちは自分の母親から
学ぶ―母親を注意深く観察して,母親がやることを是が非で
も真似しようとするのである.その代わりに,母親は子ども
たちに対して極めて寛容で,直接に教えはしないが,罰した
り無視したりすることは決してない.この親密で思いやりの
ある母親と幼児の間の絆が成立していなかったら,若いチン
パンジーは生きていくために必要なことを学びそこなうだろ
う.
こうした現象はチンパンジーが人間と似たやり方でものごと
を学習していることを示している.彼らは我々の親子関係につ
いて何かを教えてくれているとさえ言えるかもしれない.
Part 4
しかしながら言うまでもなく,チンパンジーと人間との間
には顕著な差異がたくさんあり,その差異もまた我々を人間
たらしめているものは何かについて重要なことを示唆している.
人間とチンパンジーを区別するものは何か.ここで我々の最
近の研究の一つによってチンパンジーについて発見されたこ
とに触れてみたい.チンパンジー,特に若いチンパンジーは
並はずれた記憶力を持っているのである.彼らはイメージを
一目見ただけで記憶することができる.
1から9までの数字がコンピューターのスクリーン上のあちこ
ちにランダムに,たとえば0.1秒といった極めて短い時間だけ
現れると想像してみてほしい.数字は現れた途端に消えてしま
うのである.スクリーン上に数字がぱっと現れるのは分かるだ
ろうが,それぞれの数字がどこに現れていたのか,その正確な
場所を覚えていることは不可能だろう.しかし驚くべきことに,
チンパンジーにはそれができる.これはチンパンジーが知的作
業において人間を凌駕しうるという第一の証拠である.
それとは対照的に,人間の知能はずいぶん違った方向に発達
してきたように思われる.人間は目の前にないものを想像する
ことができる.人間は出来事やもの,色や他の多くの概念を対
応する記号と結びつけることができる.言い換えれば,人間は
ことばを持っている.これが人間の最も顕著な特性の一つであ
る.
Part 5
この結びつける能力は実に注目すべきことである.たとえば,
「赤」という語が色としての赤とは何の物質的類似性も持って
いないことを考えればいい.それにもかかわらず,我々は「赤」
という語を見ると,即座に赤という色を思い浮かべる.記号と
その意味を結びつけることが人間のことばの基礎である.しか
しそれはチンパンジーにとってはとても難しい作業なのである.
要するに,チンパンジーは「ここ」と「今」の世界に生きて
いるのだ.彼らは目の前にあるものをとらえる能力に秀でてい
る.しかし目の前にないものを想像することは得意ではない.
彼らは自分たちの未来,明日にさえ無頓着であるように見える.
対照的に,人間は驚くべき想像力を持っている.見えるもの
や聞こえるものを起点にして,我々は実際には眼前にない世界
を簡単に想像することができる.過去に思いを馳せることがで
きる.我々の生まれる何百年,何千年,いや何百万年前のこと
さえ考えることができる.我々はまた,はるか未来を思い描く
こともできる.自分たちが死んでからずっと後に起こりそうな
ことを心に描くこともできるのである.こうした想像力によっ
て今の我々がある.この想像力は時に,未来について我々を不
安な気持ちにさせる.しかし同じ想像力が我々に希望を与えて
もくれるのである.人間性に特有なのはこの希望なのかもしれ
ない.
意志ある者は飛べ!
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